2014年2月25日火曜日

悲劇って

先日、お客様との会話です。
夜遅くに友人から電話があって、話を聞いていたところ。
愚痴なのか、どうしようもないことを淡々と言われたらしく。

そんなことを言っても仕方がないでしょ?
要は気の持ちよう、どうにもならないことを悩んでも仕方がない。
解決策を見出せるのは自分だけなんだからと。
言ってことを収めたんですって。

そうなんです。
自分次第なんです。
周りの意見なんてどうでもいいんです。
きっと周りの意見なんて聞いていないのだから。

そのお客様いわく、悲劇を楽しんでいるんですよ、そういう人は。
と一言。
辛いのが楽しい人なんていないはずなのに、
辛いこと悲しいことに浸っている自分が可愛そうで可愛くて仕方がないのだと。

言葉はきついのだが僕も同意見です。

若いときの僕もそういう傾向にあったし、
この悲劇から抜け出せない!と言いながら、
解決策も見出さずその場に留まっていた。
辛いはずなのに、おそらく居心地が良かったんでしょうね。

今では辛い、悲しいといった感情に陥ったら動いた方が楽だし。
悲劇にとらわれている時間がもったいないと思うようになったのですがね。

要は自分のパターンを知ればいいんだと思うんですけどね。
おそらく悲劇にとらわれるパターンがあるはずなんです。
それに近寄らないとか、入ったと思ったら出るようにするとか、
その心がけひとつのような気がするんです。

もちろん、神経物質の加減でそれができにくい人もいるだろうし、
僕の言うことが正しいと思いませんが。

ただ一つ言えることは、
自分がしたいこと出来ること、解決策は自分しか知らないし、
自分はすでに知っているんです。

そこに目を向けるのが辛いだけ。
気付いているんでしょ?どうしたらいいか?
そう自分しか知らないことにスポットを当てるだけでいいと思うのです。

もちろん悲劇を楽しみたいのなら、そのままをおすすめしますが(^_^;)

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