自分は自分、他人は他人。
て、わかっていても、実はわかっていない。
自分ならこうするのに、なぜしない?
自分ならこうするのに、やってみればいいのに。
これらって、自分は自分、他人は他人であるというのが、
わかっていないからの発言ですよね。
自分に被害があるなら、加害者に言うのはありでしょう。
そういう行為は嫌なので、やめてくれますか?の意味合いですね。
ただ、自分に関係ないのに、それでもこれらの発言をすることは、
僕は無意味やと思っています。
なぜ無意味かというと、自分ができることは他人には出来ないし、
他人は望んでいなかったりするんです。
もちろん逆もしかりなんです。
自分は自分、他人は他人なんです。
人は変わりたい、変えたい、何か動きたいと思えば、
その想いの分だけ動く。
何が必要なのか、何がダメなのか、何がいいのか、
人に聞いたり、相談したりするんです。
周りが放っておいても動くものです。
何年か前まで、この理屈がわからず、
こうしたら?ここを変えたら?と相談もされてないのに言ったりしてたのですが。
理屈がわかってから、何も言わず、じゃ何がしたいの?
と逆に聞くようにしています。
愚痴は聞きますよ。
ただ、その愚痴が変わらないのであれば、
はっきり今の現状から離れなさいという。
近いから固執するものと思っているからです。
要は他人が話をふってくれば、話にのってあげればいいと思うのです。
それまでは、気になっていても見守っていればいいと思うのです。
という生き方をしています、という話です。
押し付けません。
そういう考え方するんや、この人って、ぐらいに思ってくれたらいい話です。
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